昨今、様々なところでリスキリングという言葉を耳にすることが増えてきました。リスキリングとはRe + Skill → Reskillということで、新しい職業に就くために、あるいは、今の職業で必要とされるスキルの大幅な変化に適応するために、必要なスキルを獲得する/させること、といったことを意味しています。この言葉が最初に広がったきっかけは、世界経済フォーラムでテーマに取り上げられたことだと思われます。
2018年の1月には”Towards a Reskilling Revolution”(「リスキリング革命に向けて」)と題した報告書が発表されていて、その後、実際の会議(ダボス会議)でも議論がなされてきました。また、日本国内でも岸田首相が2022年秋の臨時国会の所信表明演説で、個人のリスキリングの支援に5年間で1兆円を投じると表明し、大きな注目を集めるようになりました。
本稿では、この急速に注目を集めつつあるリスキリングについて、その背景と、産業としてのリスキリングの将来性について見ていきたいと思います。
リスキリングが注目されてきた背景
デジタル人材の育成
リスキリングという考え方が注目されるようになった大きな理由の一つとしては、デジタル人材の不足という点が挙げられます。デジタル技術の進歩により、AI等を活用することによって、多くの既存の職業が自動化されるなどして失われることが予測される一方で、デジタル領域で新しい技術を活用できる人材が求められるようになってきています。失われる職種よりも、新たに生まれる職種のほうが多いという試算もあります。ダボス会議でも「第4次産業革命により、数年で8000万件の仕事が消失する一方で9700万件の新たな仕事が生まれる」と言われていて、新しい仕事に対応できる人材の必要性が指摘されています。
しかし、多くの企業において、新たなニーズに対応できる職能を持った人材を揃えることは簡単なことではありません。どのような企業においてもデジタル人材のニーズが高まり、高度な技能を持った人材の獲得競争は激化し、人材の確保はより難しくなっていくからです。
従来の日本の企業においては、学生時代に身に着けた知識をベースに、会社内でOJT(On the Job Training≒現場教育)によって職業人としてのスキルを身に着けさせるといったやり方が多く見られました。 しかし、常に変化していく現代社会において、学生時代に学んだ知識や、会社に入って間もないころに得た知識や技術だけで乗り切っていくことは現実的には不可能です。時代のニーズに応じて常に自分の持っている知識を更新し、さらにそのレベルを上げていかなければ対応できない世の中になってきているのです。リスキリングという言葉と同様に、アップスキリング(Upskilling)という言葉も使われていますが、これは「より上のレベルのスキル」を身に着けるというニュアンスが含められていて、知識のアップデートや、自分が持っている技術の向上も求められているということです。
中高年の学びなおし
リスキリングの重要性が強調されるのは、IT業界だけではありません。ITは特定の業界のみで活用されるものではなく、いまやありとあらゆる業界でデジタル技術の活用がなされています。既存の職種もデジタル技術の応用によって大きな変化がもたらされることになります。例えば、AIが最も得意とする分野は定型的な仕事なので、いわゆる「士業」の多くはAIに取って代わられると言われており、多くの仕事が失われることになるでしょう。
しかし、世の中から「士業」へのニーズが無くなることはなく、今後は法律や会計の専門的な知識に加え、デジタル技術を活用して効率的に仕事をこなしつつ、非定型的でより複雑化した高度な知恵を提供してくれる人材を求めることになるでしょう。これは法律や会計といった分野に留まらず、マーケティングや経営企画、人事、労務といった、会社経営の様々な分野においても同様で、定型的な仕事はITツールによって効率化を進めつつ、人の知恵が求められる高度な仕事については、ますますニーズが高まると考えられます。
こうしたときに、「人生100年時代」といわれる世の中において、会社組織にとらわれることなく、自分のスキルや経験を価値として提供し続けられるような人材となることが、中高年の人々には求められるようになってきます。日本の戦後社会で一般的になった終身雇用を前提とした働き方が通用しなくなり、会社組織に頼らずに価値を提供し続けられる人材になるためには、自身が長年にわたって培ってきた技術に加えて、リスキリングによって新しい知識や技術を学ぶことが多くの中高年人材にとっても重要なポイントとなっているのです。そしてそれはIT分野に限定されるものではなく、既存の仕事そのものをアップデートすることなのです。
[Tips]
・リスキリングはデジタル人材の育成という課題がより重要になってきたことを背景に注目されるようになった。
・今後はデジタル人材の育成のみならず、既存の職業の分野においてもリスキリングが注目されるようになっていく。
リスキリング市場の今後
研修ビジネス
企業が自社内の人材をリスキリングしようとする場合、社内研修のような形でスキルアップを目指すのが一般的です。既にこの分野には国内外問わず、多くの企業が参入しています。
また、自発的に自分のスキルアップを目指したいという個人を対象にしたコンテンツの市場も拡大しています。
IT分野を中心に、エンジニア以外の人を対象にしたセミナーやe-Learningのコンテンツの提供を行うサービスは今後ますます拡大していくでしょう。従来はエンジニアやデータ分析担当のような「専門家」が学べばよいとされていたプログラミングやデータ解析手法についても、企業経営者や製品企画、マーケティングといったIT部門ではない人材へ研修を実施する企業が増えています。また、その逆に技術者に経営の基礎知識や商品企画の手法を学ばせることもあります。
今後、こうした研修型のコンテンツ提供を行うサービス事業は、さらに拡大していくと考えられます。
転職支援
リスキリングによって新しいスキルを身に着けても、同じ会社組織に居続けては、そのスキルを十分に発揮することが難しいケースが多く見られます。特に自発的にスキルアップを志した人にとっては、新しいスキルを活用してキャリアアップしていきたいと考えるのは当然のことです。
こうしたときに、新しい職場とのマッチングを行うサービスのニーズも拡大していくことになります。その際にポイントとなるのが、従来は「会社とのマッチング」が重要でしたが、個人のスキルをベースとした「ジョブ(≒職能)とのマッチング」がより重要になってくることでしょう。従来の転職サービスが会社の社風や待遇、役職などの情報を中心にマッチングしていたのに対し、働く側のスキルをより深く理解し、適切な職務へマッチングを提供できるような転職支援サービスのニーズが高まることが予想されます。
コミュニティ
コミュニティとは、特に中高年人材のように長く会社組織内での仕事に馴染んできた人たちに対して、会社組織を超えて横のつながりを作り、新しいビジネスを創造していこうとさせる「越境型人材」の育成を目的としたものです。SNSを活用したネットワークを構築する場合もありますし、オフラインでの人脈づくりを目的としたものもあります。
会社の中で生きていくことに一生懸命取り組んできた人にとっては、いきなり自分のスキルをベースに仕事をするようにスタイルを変えることはハードルが高く、その結果リスキリングに取り組まない人も多く存在します。
そのような人々に、会社組織を超えてアイデアを出し合ったり、議論をすることで社内だけでは生み出せない発想を得るといった経験ができる、コミュニティの重要性が高まってきています。
コロナ以降に普及したリモートオフィスでの偶然の出会いをサポートするサービスや、複数の企業の新規事業開発担当者を一か所に集めて議論をさせるワークショップなどが注目されています。
まずは会社組織という壁を乗り越えるきっかけづくりとして、今後、コミュニティの重要性が高まっていくと考えられます。
[Tips]
・リスキリング関連の市場は今後、さらに拡大していくことが予想される。
・関連市場としては、研修ビジネス、転職支援、コミュニティ運営など
まとめ
当初はデジタル人材の育成という課題がきっかけとなって注目されたリスキリングという考え方ですが、今後はデジタル人材の育成のみならず、既存の人材の再活性化や、新しい市場の創造といった点からも注目されていくこととなるでしょう。日本政府も本腰を入れて対策を立てていくことを表明しており、新しい市場の拡大が期待できると考えられます。