プロダクトプレイスメントとは
プロダクトプレイスメントとは、映画やテレビ番組などの映像作品中に実際に存在する製品やサービスを登場させる広告手法です。テレビを録画して視聴することも多い現在では、CMはスキップされることがありますが、この手法では、本編の中に商品・サービスが登場するため、作品を鑑賞する際には必ず視聴されることとなります。プロダクトプレイスメントはアメリカでは1940年代の映画からすでに用いられてきた手法といわれています。当初は映画製作会社との個人的な関係からはじまった行為がその効果の高さからビジネスの手法として注目されるようになりました。コンテンツに溶け込んで違和感を与えないこの手法は企業のコミュニケーション戦略において重要視されていきます。そのため、作品の脚本執筆時、早ければ企画案段階からさまざまな手法が盛り込まれています。注目されるようになったのは映画「007」シリーズからでしょう。主人公ジェームズ・ボンドが愛用するアストンマーチンの自動車やオメガの時計、ビールのハイネケンなどが画面に登場します。ジェームズ・ボンドの活躍と何度も難関を乗り越える姿は、商品のブランドイメージ向上に大きく貢献しています。
大きな人気を呼んだ韓国ドラマ『愛の不時着』も積極的にプロダクトプレイスメントの手法を取り入れています。幾度となく韓国国内最大のチキンフランチャイズ「bb.qオリーブチキンカフェ」が登場します。韓国国内では、『愛の不時着』の放送があった週末には、店の売り上げが大幅に伸びるといわれました。このドラマは日本でも人気を呼び、「bb.qオリーブチキンカフェ」の知名度を上げることになりました。日本でもプロダクトプレイスメントの手法は以前から用いられてはいますが、商業主義の批判を浴びることもあり、地名や会社名、商品名は架空のものが用いられる場合が少なくありませんでした。韓国では、ドラマの中間にCMを入れることができないという制約があるため、プロダクトプレイスメントに力を入れてきたという側面もありそうです。
江戸時代に行われていたプロダクトプレイスメント
プロダクトプレイスメントは、録画機の普及により、CMがスキップされることを防ぐ手法の一つとして論じられることが多いため、比較的新しいテクニックであるように思われがちです。しかし、日本においては、なんと江戸時代の歌舞伎界ですでに行われていた手法なのです。江戸時代は戦国時代と異なり、社会が安定し、貨幣経済が確立し、消費文化が花開いた時代です。
歌舞伎は、慶長 8 (1603)年に阿国によって創始されたといわれ、当時の人々の人気を集めました。時の権力者により保護された能や狂言とは異なり、民衆の支持を受け成立した芸能であり、もともとは庶民に近い位置にあり続けた演劇です。江戸時代の歌舞伎は何よりの娯楽であり、流行やファッションの発信源でもありました。
歌舞伎は芸術としてだけではなく、物語や登場人物、俳優など、あらゆる要素が注目されました。芝居において役者が着用した衣装や髪型、飾り物は、人々の注目の的でした。役者は江戸時代のファッションリーダーでもあったのです。また、歌舞伎は当時起こった事件を想起させるストーリーを盛り込んでいたため、江戸の住人にとってのニュースソースでもありました。歌舞伎役者は現在の映画俳優やテレビタレントの役割を果たしていたわけで、彼らが小道具として使用すれば広告効果抜群、と言えるでしょう。
Tips
庶民文化としての歌舞伎は江戸時代の広告媒体
芝居を見ながらにして製品の効能を聞く
歌舞伎における広告は歌舞伎の芝居の中で行われるものと浮世絵を用いて展開されるものがあります。芝居の台詞の中に商品の名や店名を入れて宣伝を行うものとして有名な題目として、歌舞伎十八番のひとつでもある 「外郎売」(ういろううり)があります。現代でも俳優やアナウンサーの滑舌トレーニングの題材としても知られています。薬売りに扮する役者が「透頂香」の由来や薬の効果を早口で聞かせていきます。「その名を帝より、『とうちんこう』と賜わる」「系図正しき薬でござる」などのフレーズが埋め込まれ、見事な広告になっています(
注1)。 観客は芝居を見ながら、「透頂香」について知ることになります(
注2)。 まさに映画のプレイスメントと同じ構造です。
二代目市川團十郎は「助六劇」でもいわゆるタイアップ広告を積極的に演目に取り入れていきます。「助六」は、吉原遊郭を舞台にしています。実在の遊廓である三浦屋の店先に舞台を設定しているので三浦屋が登場するのは当然ですが、ほかに朝顔煎餅、山川白酒などの名称が芝居の中に自然と出てきます。歌舞伎は人々の関心事に沿ったテーマ設定を行うので、当時江戸に合った店名や商品名が出てくることに違和感はなく、逆に自然なことであったといえるでしょう。
Tips
歌舞伎のストーリーに違和感なく商品情報を入れ込む事例も
浮世絵は江戸市中の女性にとってのブロマイド
浮世絵を用いた例では、歌舞伎俳優を描く浮世絵に「仙女香」という白粉の商品名を入れたものがあります。 浮世絵は最新の風俗を伝える機能を持ち、かつ技術の進歩により安価で大量に印刷できたことから、当時は広告媒体として最適なものでした。近世初期の風俗画は、富裕層の所有物でしたが、浮世絵版画の登場で、絵画の受容者層は大きく広がり、多くの人々の絵画鑑賞が可能となりました。また、浮世絵はブロマイドや土産物といった役割も果たすようになります。それに伴い、人々が興味を抱いていた物事を主題とした浮世絵が制作されるようになります。 歌舞伎俳優は当時のスーパースターであり憧れの存在ですから、歌舞伎俳優が描かれた浮世絵は当時のブロマイドであり、大きな宣伝効果を上げたといわれます。
Tips
広告利用がひんぱんに行われた浮世絵
まとめ
宣伝臭さを感じさせずにストーリーや背景として自然な形で商品が登場している、あるいは憧れの存在の俳優が使っている、それがプロダクトプレイスメントの特徴とされます。これは、まさに江戸時代の歌舞伎界で積極的に使われていた手法です。広告は最新の技術・話題とともに語られるものが多いのですが、実は歴史をさかのぼってもこのような面白いエピソードが埋もれているものですね。広告手法においても、歴史の中に現代に通じるヒントが他にもいろいろあるかもしれませんね。
(注1) 「外郎売」(一部抜粋)
拙者親方と申すは、
お立会の中に
御存じのお方もござりましょうが、
お江戸を発って二十里上方、
相州小田原一色町をお過ぎなされて、
青物町を登りへおいでなさるれば、
欄干橋虎屋藤衛門、只今は剃髪致して、
円斉と名のりまする。
元朝より、大晦日まで
お手に入れまする此の薬は、
昔ちんの国の唐人、
外郎という人、
わが朝ちょうへ来たり、
帝へ参内の折りから、
この薬を深く籠め置き、
用ゆる時は一粒ずつ、
冠のすき間より取り出いだす。
依って、その名を帝より、
「とうちんこう」と賜わる。
即ち文字には、
「頂き、透く、香い」と書いて「とうちんこう」と申す。
只今はこの薬、
殊の外ほか、世上に弘まり、
方々に偽看板を出し、
イヤ、小田原の、灰俵の、さん俵の、炭俵のと、いろいろに申せども、
平仮名をもって「ういろう」と記せしは、親方円斉ばかり。
もしやお立会いの中に、
熱海か塔の沢へ、湯治にお出でなさるるか、
又は伊勢御参宮の折からは、
必ず門違いなされまするな。
お登りならば右の
お下りなれば左側、
八方が八つ棟、表が三つ棟玉堂造り。
破風には菊に桐のとうの御紋を御赦免あって、
系図正しき薬でござる。
(以下続)
(注2) 松宮三郎『江戸歌舞伎と広告』東峰書房、 1973