「21 Coffees」では、マーケティング・コミュニケーションビジネスに長年携わってきたToshさんが、マーケティングやブランディングに携わるプロフェッショナルや経営者たちとのつかの間のコーヒータイムを綴りながら、皆さんの少しでもお役に立てるようなヒントMarketingDripを「抽出」します。
Cさん(男性、40代)
-シンガポール独立系デジタルエージェンシー シニアヴァイスプレジデント
“前進していないものは、後退している”
ゲーテの言葉を具現化したようなCさんのキャリアは、母国マレーシアで大学を卒業するとすぐに仕事を求めて来日するところから始まりました。第二母国語でもある英語力を活かしてネット媒体を展開するグローバル企業の日本支社に就職、媒体セールスをこなしながら日本語の勉強も怠りませんでした。1年様子を見たあと、Cさんは中規模のネット広告代理店に移り、企画営業の実務で経験を積みました。さらに2年後に転職活動を再開した際に、私は当時在籍していた総合広告代理店での人事面談で初めてCさんと顔合わせしました。聡明で頭の回転の良さはすぐに気づきましたが、その柔らかな物腰と、決して流暢ではなくても一生懸命に日本語を話そうとする意気込みに感心させられたのをよく覚えています。話をお聞きしながら、日本に来てまだ3年ほどにも拘わらず、大変なスピードで言葉と文化に溶け込む努力をされたのだろうと感じさせられました。長く日本に滞在している外国人ビジネスマンでも、頑なに日本語を喋らない方も多く知っています。
Cさんは残念ながら5年ほど前に日本を離れ、いまは新しい拠点で活躍されています。同じ母国の奥様と10年前にご結婚され、その後に生まれたご長女と3人になられたのがきっかけでしょうか、自身のキャリアを牽引するデジタル文化の高さとご家族の暮らしやすさを踏まえた次の大きな一歩を思索した結果が、シンガポールへの移転でした。
明日のために今日何をする
Cさんとは折りに触れてメールを交わす間柄ですが、顔を見て話をするのは久しぶりでした。40代になったCさんにお目にかかるのも初めてで、その間こちらも随分年をとってしまっているわけですが、お互い少し照れ気味に画面越しで対面しました。顔も上半身もすっかり丸みを帯び、以前はしていなかった眼鏡をかけ、しっかり貫禄づいたCさん。前から変わっていないのは満面の笑顔でした。顎を軽くさすり、昔からの私の呼び名「親分」と口にしながら、手を振ってきます。
私と同僚になってCさんはデジタル・プランナーとして外資系クライアントと英語で議論を交わしながら、日本語で国内の媒体社と強気な交渉に臨みました。疾風の如く変化し進化するデジタル事情の知識を深めることも怠ることなく、仕事のうえで常に最新の提案と対応策を心掛けていたのを思いだします。私のほうが先にその会社を去るまでの4年半の間、見守ってきたCさんのイメージは朗らかな努力家でした。
デジタルに関連したビジネスや社会環境をアジアの構図のなかで見ると、日本が遅れをとっている感は否めないですねと指摘すると、コーヒーを片手にCさんはバツ悪そうに軽く頷きました。中国とインドはさておき、シンガポール等ASEAN主要国は企業活動や新規事業のしやすさの指標となるビジネス環境度において社会インフラの整備含め躍進が注視されており、特に日本などと比べてデジタル経済の加速は顕著です。若い人たちの人口比率やスタートアップ企業の躍進などに起因する新しい時代への転換のスピードは、日本にとって羨望を掻き立てるものがあります。
タイミングを決めるのは自分
Cさんには同業でプロフェッショナルとして崇拝するデジタル“グル(師)”がいて、その彼はフィリピンでデジタルエージェンシーを展開しています。Cさんはその足跡をたどるように、この数年自らのオペレーションの準備をしてきたと話してくれました。コロナ禍でいったん中断を余儀なくされたものの、来年のローンチは決まっていると。もしかして日本に戻ってくる可能性も?と聞くと、Cさんは笑いながらゆっくり首を振りました。日本は間違いなくビジネスの拠点のひとつだが、オペレーション自体が物理的にそこにある必要性はないのです、と言います。ベトナムにいる知り合いと現地のオフィスの場所含め最終調整は終え、家族の同意も得ており、お膳立てはできているとのこと。デジタル企業への積極的な投資とビジネス環境を提供する国の選択肢は、Cさんのような手に職をもつ国際的な人材にとって少なくないはず。でもCさんの表情は和らぎません。競争は熾烈で、年齢的にも自分はすでにかなり後塵を拝していると言います。それでも、駆け込みでも何でもギリギリ間に合えばいいと。さらにCさんは、それはまだ描いている全体像の途中であって、自身の成長と実績を鑑みながら、最後はマレーシアに凱旋するのが夢なのだと話してくれました。壮大な計画に私は画面越しに拍手を送りました。
Cさんは日本で社会人としての基本を学び、ビジネスパーソンの働き方を経験し、キャリアプロフェッショナルとして目覚めたことに今でも誇りをもちつつ、デジタルスペシャリストとして成熟を続けています。今度は自分が外からパートナーという立ち位置で、日本のビジネスにおいて力になりたいと願っています、とCさんは語ってくれました。エネルギーや食料品など日本が歴史的に海外に依存してきた分野が多々あるように、Cさんが一端を担うのは自分の得意とするデジタル領域です。進化し続ける技術やプラットフォーム、AIツール、広告モデル、商業スキームほかそのポテンシャルと発展性は想像の域を超えます。
どうか日本語は忘れないでほしいと言うと、Cさんは親指を立てて日本語で大丈夫と笑って返しました。日本語はとても大事な財産ですからと。そう遠くない将来にベトナムでフォーをご馳走になるのを楽しみに、Cさんとのコーヒータイムを終了しました。
Marketing Drip - 進取の気性を発揮する
「イノベーション」の概念を広めたと言われる経済学者のシュンペーターがその言葉に意図したのは単なる技術の革新の話でなく、新しい方法や新しい考え方を駆使することで新しい価値が生まれる、と提言するものでした。これまでと同じやり方を続けることで安心を得るのはひとつのプロトコルで、もうひとつあるのは「イノベーション」というマインドセットがもたらす新たな発見と収穫。後者には経験した人だけが知る、湧き上がるような高揚感があります。それがしばしば人を成長させる大きなきっかけとなるのです。