「21 Coffees」では、マーケティング・コミュニケーションビジネスに長年携わってきたToshさんが、マーケティングやブランディングに携わるプロフェッショナルや経営者たちとのつかの間のコーヒータイムを綴りながら、皆さんの少しでもお役に立てるようなヒントMarketingDripを「抽出」します。
Fさん(男性、60代)
-損害保険会社 取締役
“状況?何が状況だ。俺が状況を作るのだ。”
大分前になりますが仕事で3年間ほどお付き合いがあったFさん。ご本人はとても温和な方で、このナポレオンが放ったと言われる暴言を吐くようなことなどもちろん一切ありませんでした。職業柄といってしまっては簡単ですが、当時からデータに対する意識の高さが顕著なマーケティング責任者として、常に客観的根拠を保持しながらも自ら明快な方向性を示されていたことは覚えています。保険業界ではこれまでもデータを駆使することでビジネスを構築してきたことは認識していましたが、進化するデバイスやソーシャルメディアに押されますます多種多様かつ膨大な量の情報に今日アクセスを可能としています。AI技術を活用したソリューションは、同様に多くの産業において高度な画像処理、声認識、需要予測、最適マッチング、異常検知、無人労働管理ほか多岐にわたる役割を担い、事例も日々蓄積されてきています。
Fさんは私と年齢が近いため、アナログの時代をともに見て、生きてきた同胞としてたまにしかお会いする機会がなくとも、顔を合わせればいつも親しみを感じさせてくれます。画面の向こうから相変わらず眉をひそめるようにしてこちらを凝視するFさんですが、眼鏡の奥の瞳の優しさは隠せませんでした。湯気のたつマグカップを持ち上げるFさんと乾杯を済ませると、最初はチャーリー・ワッツさんの訃報の話から始まり、日本の景気や社会情勢の変化、オリンピックなどに軽く触れました。Fさんはコロナ禍の少し前から現場を離れ、経営陣としてこの2年近くの期間会社を見守ってきました。
論理的が全てでもない
30代半ばに日本の保険会社から現在の外資系企業に転職されてから、Fさんは法人営業から、顧客サービス、経営企画など25年以上にわたり広く従事。私がお会いしたのはダイレクトマーケティング部ご担当のときでした。そもそも対面が基本の日本の販売方式に対してダイレクト販売スタイルが海外から導入され、各社が追随するようになったと聞いています。Fさんは商品需要を反映した顧客年齢層の明快化による効率化や、それぞれセグメントにあわせた新商品開発・販促のアイデアを採用したり、異業種の企業と提携することで彼らが抱える顧客を狙うなど、積極的に攻めの姿勢を貫いていました。そして結果をもとに効果を事後分析、その後の改善に努めることも常でした。 データの重要性と活用を推進していたFさんですが、それと同時にときおり放つ「ひらめき」にも私は注視していました。奇想天外なキャンペーンや新しい発想の顧客サービスなど、Fさんの思考は確かにビジネスに直結しました。それを指摘すると、手を軽く顔の前でふりながら笑うと、シンギュラリティという言葉を聞いたことがあるでしょうとFさんは言いました。はい、とても怖い言葉ですよねと私は返しました。 シンギュラリティとは、アメリカのAI研究における権威カーツワイル氏が唱えた概念で、「AI(人工知能)」がある時点で人類の知能を超え、それによって人間の生活に大きな変化をきたすといったような未来予測のことです。AIが人間の知性を超えれば、これまで人間にしかできなかった多くのことが代替されるため、人間の生活環境は大きく変わらざるを得なくなる。それは楽になるから良いということだけでなく、人間にとってリスクが多々発生する。いかにして自分たちの能力を凌駕するAIをコントロールし、かつ返り討ちにあうことを回避できるか、など今から懸念されています。 それでもAIの躍進は自分のいる業界に限らず、留まることはありませんよ、とFWさんは言います。AIによる人間よりはるかに優れた膨大な量のデータの処理能力は、効率よく精度を向上しながらより新しいサービスなどイノベーションを生じさせているのです。
人間らしさをエンジョイする
人間が自分ではできないことにこき使うために開発したようなものなのに、それが発達しすぎて人間を困らせてしまうかもなんて、皮肉を超えて笑ってしまいますね、とFさんはもじゃもじゃ頭を掻きながら言います。だから自分は人間らしさを失わないようにと社内でことあるごとに声を上げているとのことです。AIは機械学習の中で客観的な解析に基づいて指示や決定をする。それはもはや欠かせないので、AIスペシャリストの管理下で鋭意進めるに任せる。ただし、ものごとの最終的な判断には人の倫理が介在することを怠らないようにしないと、と。自分の世代だからなのでしょうか、とFさんは自問自答するそうです。若い人たちは、これまでに成せなかったことを可能にしてくれたり、未知の分野で教えを乞うたりすることを、簡単に受け入れる風潮があることに違和感しかないと。
データ好きと自分では言いながらも、結局アナログ人間ですな、とFさんが言います。私も憚りながら、同じ世代の人と話しているほっとしますよと返しました。二人で大笑いです。
人間は何が素晴らしいかって、限界があるからじゃないでしょうかとFさんは嬉しそうに言います。例えば、人は1カ月で学習した8割を忘れてしまうそうです。だから復習が大事なのだと。でも、忘れるから人間なのです。100メートル走は、1912年の10秒6という世界記録から2009年のボルトの出した9秒58まで、たった1秒短縮するのにほぼ1世紀かかっています。でも、もうあと1世紀かけてもさらに1秒縮めることはできるのか疑問です。人の寿命も、頑張って恐らく120才くらいですよね。自分は半分くらいまで来たので、もうあと半分も人間らしくこれまでどおり自分勝手に生きるつもりですよ、とFさんは誇らしげに言って高笑いしましました。
Marketing Drip - 良い風を見極める
人工知能が人間と同じ感情をもつようになり、人間が人工知能に翻弄される将来を描いた物語は、小説や映画で当たり前のように目にします。本当にいつかシュワちゃんが時空を超えて飛来してくるのでしょうか。進化する技術は後退することはありません。ディープラーニングのブラックボックス化問題は専門家に任せておいて、我々はしっかりリテラシーと活用力を養い、使われるのでなく使いこなすことが大事になります。