今回は、「若い世代のテレビ離れ」という話題から、 “メディアデバイス”と“メディアコンテンツ”の関係を通して、メディア接触環境の変化について、考察してみたいと思います。
なお、「デバイス」は「装置」の意味ですが、ここでは、スマホ・PC等のデジタル情報処理端末に加え、マスメディアの受信再生機器(=テレビ・ラジオなど)もメディアデバイスとして扱います。
若い世代のテレビ離れとは
「若い世代のテレビ離れ」といっても、以下の表にあるように、最新の調査では、若い世代(10代、20代)のネット利用時間が増え、テレビのリアルタイム視聴時間が減ったということであり、若い世代がテレビコンテンツを全く見なくなったということではありませんでした。テレビのリアルタイム視聴時間など他のメディアの接触時間を削ったり、他の時間と「並行利用(ながら利用)」をしたりして、ネット利用時間を捻出している姿が見えてきたわけです。
そうしたデジタルメディアユーザーは、情報爆発・情報洪水の下でいかに効率的に情報を抽出するか、という課題に立ち向かっています。それに対して辿り着いたひとつの方法が、デジタルメディアの新たな利用形態とも言える「倍速視聴」や「スキップ視聴」「ダイジェスト型視聴」といったものでした。
Tips
デジタルがもたらした情報洪水に人々は「倍速視聴」「ダイジェスト型視聴」で対応
時短志向と倍速視聴
昨今、このように映像コンテンツを「倍速視聴」「スキップ視聴」する若者の行動が注目され取り上げられています(※)。これらの“時短視聴”する対象コンテンツには、映画のような王道の映像コンテンツに加えて、録画物やTVerなど後追い視聴の際に倍速やスキップで利用する「事後タイムシフト型」、さらには別の人が要約編集したものを視聴する(YouTubeでのあらすじ解説、逮捕者も出たファスト映画のようなものも含む)「ダイジェスト型」などがあります。なお、今ではリモートによる講義やセミナーなどは「事後タイムシフト型」にすることで時短が可能になるのだそうです。時短志向(
b)も遂にここまで来たかという感想を持ってしまいます。
しかし、果たしてこれは若者にのみ見られる傾向なのでしょうか。筆者は、利用するメディアサービスやメディアデバイスが同じで利用環境が同じようなところであれば、『世代を問わずに発露する現象ではないか』『メディアデバイスの技術進化から自ずと生まれた視聴形態なのではないか』と考えています。。
サブスクとタイパ
他方、こうした変化の環境的背景としては、1.映像コンテンツの供給増加、2.“タイパ”志向(「タイムパフォーマンス」=時間あたりのコストパフォーマンスを良くしたい効率重視志向)などが挙げられています。 ここではさらに具体的に深掘りしてみましょう。
1. 映像コンテンツの供給に関しては、メディアデバイスが変わったことが重要でした。【テレビ】という「マスメディア用デバイス」向けに提供されていたコンテンツが、AmazonプライムビデオやNetflixのようなサブスク型動画配信サービスへの進化により、【スマホ】や【PC】といったデジタルデバイスに届けられるようになったこと。 そして、これによって一人視聴という視聴環境が一般的になったこと。これが重要です。
2. “タイパ”志向に合うように、【スマホ】や【PC】というデジタルデバイスで利用できる動画プレーヤーに倍速設定やスキップ機能が付き、また、ストレスなく見られるようになったこと。これも重要な変化でした。
家族視聴の減少
家庭の住環境的には、スマホ・PCの普及によって、メディアのファミリーユースの減少&パーソナルユースの増加がもたらされたという変化が起こっています。 テレビやラジオといったマスメディアでは、かつてひとつのメディアデバイス(ラジオ受信機、テレビ受像機)を皆で見たり聞いたりしていたものでした。普及するに伴って家族等少人数単位の所有物となり、遂には個人所有が可能となってきたのでした。
一方、こうしたメディアデバイスの進化普及に加え、複製技術はデジタル技術の進化に伴って飛躍的な発展を見せ、コンテンツの複製コピーが限りなく無料となりました。加えてスマホやPCというメディアデバイスをひとり一台所有できるようになった時代が訪れたことで、これまであったような“新聞を家庭内で回し読みする”とか、“家族が一緒にテレビの前に集まって夜7時から同じ番組を見る”といった、皆で同じメディア接触行動をとる習慣は薄くなったわけです。
なお、かつてのこうした家庭内イベントにおいては視聴閲覧にあたって家族のルールやマナーが存在していたものです。例えば新聞については家族内で読むにあたっての優先順や時間帯、切り取り書き込みの禁止などがありましたし、テレビでは「チャンネル権」や視聴時間帯の制限、さらにはテレビ(受像機)のスイッチをつけたり消したりの禁止(壊れるとか電気を喰うという理由のため)、チャンネルザッピングの禁止などを決めていた家庭も多かったことでしょう。
いまや実現可能な時代となったデジタルデバイスの一人一台所有は、こうした家庭内の閲覧視聴ルールを消失させることになりました。同時に、それぞれの都合の良い時間に、各自が選んだメディア経由で情報を得ることができる「個人によるメディア選択の自由」をもたらしたのでした。
自分だけのメディアデバイス
PCやスマホが、家族や会社の共有物ではなく、ひとり一台所有が可能になったということは、使用履歴を含めてそのデバイスがプライベートなものとしての認識のもとで所有されることに他なりません。以前のように家族の嗜好や体験の共有、例えば父母や兄姉の読んでいた記事を読み番組を見て、門前の小僧よろしく知らず知らずのうちに教養を身につけるようなことはなくなりますが、その一方で、先ほどの家庭内でのメディアデバイス利用ルール(テレビのチャンネル権や視聴時間制限、スイッチをつけたり消したり禁止、チャンネルザッピング禁止など)からは解放されるのです。
かつて家庭内におけるメディア利用において、このような緩やかな管理(多くの場合はお父さんかお母さんが管理者だったでしょうか)が存在し、家族はそれに則って閲覧視聴を行っていたのでしたが、自分専用のメディアデバイスを持つことは、こうした共同管理ルールから離脱し、自由な閲覧視聴環境を獲得するということになります。昨今、PCやスマホで利用できるアプリやサービスのメディアプレーヤーでは再生ボタン、停止ボタン、一時停止ボタンに加え、再生速度設定も可能になっていますので“倍速視聴”しても、“スキップ視聴”しても、自分だけのメディアデバイスをどのように使っても誰にも文句は言われないわけです。周囲に気を遣わずに自分のペースで映像コンテンツを見るのが普通になったことこそがメディア環境の大きな変化に他なりません。
Tips
「タイムシフト」「サブスク」「タイパ」で一人視聴を促進
メディアの変遷と文化への影響
さて、こうしたメディア環境の変化というテーマに際して、これらはどのように進化してきたのか、変遷を見ていきましょう。まずは広告視点で捉えた概略を示しますと、メディアは、[文字媒体(新聞・雑誌)]→[音声媒体(ラジオ)]→[映像媒体(テレビ)]→[デジタルメディア(PC/スマホ)]という順番に登場してきました。新しいメディアを利用するにあたっては、一定の手順や利用環境の整備が必要とされるため、メディアの普及にはそれに伴う変化や影響、つまりはそれらを包括したものとしての「文化」がもたらされることになります。
以下の図(
※2)はマーシャル・マクルーハンの語ったメディアと文化段階の整理です。マクルーハンは、この図式において「それぞれの文化段階を規定しているのはメディアであり、『技術』という外的・物質的要因が社会や文化のあり方を根本的に規定している」というのです(文化がメディアを規定するのではなくその逆でTVerがある)。
やはり、メディアデバイスの進化の方が視聴形態の変化に影響を与えているのは間違いないようですね。
さわり視聴、なぞり視聴
ここで改めて、これまでの話を受けて、映像コンテンツの最新視聴形態とその文化的影響について考察していきたいと思います。 先程触れたように、映像コンテンツのサブスク型配信サービスは、コンテンツの大量供給を可能にし、ユーザーに多くの選択肢を提供しています。「こちらもおすすめ」というように次の作品のリコメンドもしてくれます。そしてまた、この新しいサービスはスマホやPCというメディアデバイスを得たことで、何回でも自由に巻き戻し、早送り、スキップ再生等が可能となったわけです。そしてこれによってユーザーにみられたのは次の2つの視聴傾向がありました。
コンテンツの“さわり”視聴
時間のない中で、コンテンツにさわっておく、またはさわりだけを見ておくような使い方。知識体験を得るための時短視聴的手法。要約志向。
コンテンツの“なぞり”視聴
他人のSNS、評価、解説などとあわせて、または前後して視聴する手法。時に反復視聴することもある。
Tips
コンテンツと「薄く」「要領よく」接触する”さわり”視聴や”なぞり”視聴が時代の典型に
まとめ
デジタルは、物理的・地理的・空間的・時間的な制限を超えて、利用を可能にする進化をもたらしました。しかしその一方で、大量供給され、いつでも見返すことができる映像コンテンツサービスには果たしてメリットだけしかないのでしょうか。否、こうした大量供給サービスはコンテンツを大量消費し、結果的にコモディティ化をもたらし、そのオーラを失わせる危険性を孕んでいることも忘れてはなりません。
上記とは逆に、大量供給サービスから外れ、 物理的・地理的・空間的・時間的に限定されたものの方が、魅力を持ち、コンテンツ価値を高く維持できるのだとすれば、広告も将来的にはそちらの方向を目指していくことになるのかもしれません。
【参照】
- ※1:「映画を早送りで見る人たち」稲田豊史著(光文社新書)
- ※2:1665年にフランスで創刊された『Journal des Savants ジュルナール・デ・サバン』だとされる。 「現代メディア哲学」山口裕之著(講談社)p43